なんとなくのブログ

日常 思うこと

「明日死ぬとしたら」の明日は何時

よく「明日死ぬとしたら何をする?」みたいな質問がありますが、この質問の「明日」がいつかによって、やることは大きく変わると思う。

 

例えば僕の場合、「明日死ぬならやりたいこと」の一つとして、アメリカに行くことがある。

【明日の0時00分に死ぬ場合】

24時間あればアメリカへたどり着くことはできる。

しかし向こうに着いてからの遊ぶ時間がない。

遊んでいると死ぬのはアメリカにいる間になりそうだ。同行者に迷惑が掛かるからよしておこう。アメリカで死んでしまったら同行者に迷惑がかかる。親族もいろいろと手続きが大変だろう。

 

【明日の23時59分の場合】

向こうに着いてから、少しは現地の様子を知ることができそうだ。そして日本に帰ってきてから死ぬという日程を組むこともできそうだ。親族や同行者も日本でことが起こった方が楽だろう。

 

「明日の0時00分」に死ぬのか、「明日の23:59分」に死ぬのかで、できることは大きく変わる。約24時間の差があるので、出題者はそこのところ、明言してほしい。

 

 

ちなみに本当にある日突然、僕が「余命1日」を言い渡されたらたぶん遠出はしない。

家で買ったばかりのダイニングテーブルに座って、妻と昔の写真を見返しながら思い出を語ったり、シュークリームを食べたりする。せっかくだからケーキ屋さんのシュークリームを買いに行って、食べたりする。

 

 

 

「明日死ぬ」の「明日」が何時だろうと、急に言われたら大した違いではない気がしてきた。

1日1日を大切に。感謝と愛はきちんと伝えましょう。

 

まとまらないよ~