子どもとにじ 大人と虹
にじが出ていると 子どもたちは必ず
「ねえねえ、にじ出てるよ」と教えてくれます。
写真に撮っておいて と頼んできます。
にじが出ていると 大人たちは恐らく
3秒眺めて仕事に戻ります。
ポケットのスマホで わざわざ写真は撮りません。
「虹だ」とつぶやきこそすれ それを上司のところにわざわざ言ったりはしません。
多くの大人はいつの間にか子どもの心を失ってしまいます。
屋根から滴る雨の水滴で修行ごっこをしたい気持ちとか、さっきまいた花の種が無事に芽を出すか数分おきに確認したくなる気持ちとか。
仕事で忙しいからでしょうか。
知識や経験があるがゆえ、面倒なことを避けたり、効率の良さを求めてしまうのでしょうか。
皆がみんな、一生子どもの心で生きていたら 社会は崩壊するでしょう。
だから自然と大人になっていくのは仕方のないことだと思います。
一方でこれはものすごく残念なことで、寂しいことだと思うわけです。
もう一生 子どもの視点で世界を見られないのだろうか。
もう一生 美しい 面白い と感じることのできない物事があるのではないか。
その点、絵本作家は天才です。
子どもの視点を持ちながらも、それを表現するための言葉を操る力を持つ。
絵本作家がにじを見たならば、きっとしばらくそれを眺め、見とれ、誰かに伝える。
特に大人になってから、空をゆっくり眺めることがなくなった。
今の季節は何時頃に日が落ちるのかとか、今夜空には月が出ているのかとか、そんなことも分からない。
子どものようにもっと自分の周りを見渡し、世の中のきれいなものとか面白いものに感動したいと思う。
夕方5時の半のゆうやけを美しいと思える心と心のゆとりをもっていたいと思う。
(夕方5時半のゆうやけ…ゆずの歌で聞いたフレーズだ)