「元気でね」マクドナルドの片隅に最後の手紙を書きあげており
「サラダ記念日」という言葉を初めて聞いたのはいつだろうか。
最初に聞いたときには、食品会社の、例えば味の素かなんかが自社製品を売るためのキャンペーンか何かと思っていた。
記念日にすれば主婦たちが、そうだわ今日はサラダ記念日、レタスとトマトとケチャップを買って帰らなきゃね、となるのが狙いだと。
それから数年~十数年が経ち、やっと手にした「サラダ記念日」
俵万智さんの歌集です。最初に書いたのは「サラダ記念日」に載っている一首です。
「元気でね」マクドナルドの片隅に最後の手紙を書きあげており
なぜ「一人暮らしの」「リビングで」ではなく「マクドナルドの」「片隅で」なのか。
なぜ「別れの手紙」ではなく「最後の手紙」なのか。
なぜ「書き終えたり」ではなく「書きあげており」なのか。
言葉が少し違うだけで浮くぶ情景が違う。
原文がいかに洗練されたものか分かりませんか。
原文の方には動きや表情まで生まれる気がする。
たった三十一字でこれだけのことを表現できることに短歌の魅力が詰まっていると、ド素人は思います。