なんとなくのブログ

日常 思うこと

来世はタニシであることを考えると

我が家のメダカの水槽を見ると、壁一面にタニシが張り付いている。

この一つ一つにも命があることがなんだか不思議でならない。一体何を考えて生きているのだろうか。今日のご飯は何かなとか、お隣のタニシさんまたお子さんが生まれたらしいわよとか会話したりするのだろうか。

 

タニシはメダカのエサも食べる。メダカに粒上のエサをやるとき、そのエサはしばらく水面に浮かぶ。このときそのメダカのエサを求めてタニシも水面付近に一斉に集まるのだが、やつら案外動きが速い。さっきまで水底付近にいたタニシまであっという間に水面にやってきて、メダカ様のご馳走をわが物顔で食べ始める。水面には何十匹のタニシが一直線に並ぶ。メダカのエサ以外には壁に生えたコケを食べているらしい。だから基本は壁に張り付いている、のかもしれない。

 

ところでこのタニシという生き物、雄雌同体らしく1匹で子孫を増やせる。(合ってるかな?)このとき生まれた子どもの遺伝子は親と全く同じなのだろうか。もしそうだとしたら自分のコピーが出来上がるわけで、それってものすごく気持ち悪くないのかな。自分と同じ顔のタニシが、それも一般家庭の水槽というこんなにも狭い世界にいることをどう思っているのだろうか。優秀で自信満々なタニシなら自分のコピーは嬉しいかもしれないけど…

なあタニシよ、お前の幸せは人様のエサを盗み食いしたり壁のコケを食べたりして自分そっくりの子を産むことなのだな。楽しいことといったら、たまにからの中に体を引っ込めて水面からゆらゆらと水底に落ちていったり、メダカのためのエアー(ぶくぶく)に乗って水面に打ち上げられることなのだな。いろいろな人生があるものですな。

 

来世はタニシという可能性を考慮し、タニシを悪く言うのはここまでとする。