桃色のふわふわうさぎを追う
久しぶりに学校の話
朝、子どもたちとすれ違うたびにあいさつをするが、よく低学年の子に無視をされる。
「おっとっと君、あいさつを無視とは何事か、社会の基本ですぞ」と思いながらも、
”挨拶をすべきは相手は担任の先生、しかも教室に入る時だけ”と思ってたりするから仕方ないかと自分を納得させる。
今朝も、おそらく1~2年生と思われる女の子にあいさつをしたが無視をされた。
いつもならまた、「おっとっと君、あいさつは…」とまた心の中でぼやくが、それよりもこの日はその子の様子が気になった。
その子、なぜか大きなスケッチブックと筆入れをわきに抱え、そして自分の進行方向をぼんやりと見つめながもらずんずんと歩いて行く。こちらがあいさつをしたときもそうだったが、何か彼女は違う世界を見ているような、意識が違う世界にあるような、そんな目をしていた。
その子の目には、桃色のふわふわしたうさぎか何かが見えていて、それを追いかけていたのかもしれない。そのうさぎの後を追うのに忙しかったのならば、そりゃ義務感から仕方なくあいさつをしてくる作り笑顔おじさんの私のあいさつなど目・耳に入るわけもないのである。ふわふわのうさぎにはかなわない。
そういえば低学年の担任をしていると、この女の子のような目をしていた子がクラスに何人かいるのだが、学年が上がるほどその目をする子は少なくなるように感じる。
きっとだれしも小さいころは自分だけの想像の世界があって、その世界に生きる時間が一日のなかで長くあったのではないかと思う。私たちはみな等しくこの”目”をもっていたはずだ。しかし大きくなるにつれて現実の世界に生きる時間が長くなり、同時にこの”目”を失っていく。少し寂しいことだと思う。
あいさつを返してくれない子がいたら、「おっとっと君、あいさつを無視とは何事か、社会の基本ですぞ。それでもいいがあいさつをしないならこれから先も徹底的に返すな、想像の世界に生きろ、とことん生き続けろ。そして作家になれ。」と思うことにする(笑)
その目をもつこと、うらやましく思う。
いや、でもあいさつは返したまえよ、高学年になったら。