なんとなくのブログ

日常 思うこと

「スイミー」はアスリートであった

 

小学校で国語を教えていると、国語の教科書に載るような名作には無駄な一文など全くないことに気付く。

 

教師には指導書―教師用の教科書や授業づくりのヒントになる教科書の教科書のようなもの—というものが渡される。そこには子どもたち用の教科書と全く同じ内容が書かれている。

子どもたちの教科書と違う点といえば、それぞれの文章の横に何を指導すべきか書いてあることだ。主人公の心情を理解するうえでその一文がどんなヒントになっているかということや、文章の構成上その単語がどんな役割を果たしているのかが書いてある。

 

指導書を読んでいると重要な文章は山ほどあって、無駄な文章や不必要な文章は全くないと言ってもいい。すべてが物語のカギになっているしそれらを理解することでより一層物語を楽しむことができる。

そしてなぜその物語が小学校の教科書に載っているのか理解できる。あまりにも完璧な文章だからだ。まさに芸術である。

 

贅肉の全くない、鍛えられ上げたアスリートの体のような文章で作られた話、それが「スイミー」や「ごんぎつね」のような名作である。