なんとなくのブログ

日常 思うこと

この1回で!

 

トイレの消毒に関する札

画像は今日行ったお店のトイレで見つけた案内である。この画像の文面で気になるところはないだろうか。

 

クリーナーの下のふわふわの吹き出し「この1回で!」とあり、これが気になった。

 

さてクイズです。「この1回」の1回とは何の1回で、「1回で」何が起きるでしょうか。

 

応える人によって答えが分かれそうな気がする。

 

私の答えは、トイレットペーパーをクリーナーに1回近づけただけで十分な量の消毒液が出ます というのがこの札の意味するところだと思う。

 

うーんでも自信がない。

この1回分の消毒液で拭いてください(それ以上はムダ、使うでないぞ)…かな?

この1回でこんなに消毒液が出るよ!すごいでしょお客さん!…かな?

この1回の消毒液で、アフリカの子ども10人がウイルスの消毒をできます。あなたもペットボトルのキャップを集めましょう。(ユニセフ風)…なわけはない。

 

どちらにせよこの札、お客さんの想像に任せすぎている。

みなさんはこの札の意味するものは何だと思いますか??

 

 

ハンバーグの恐ろしさを知り、男はまたひとつ大人になる

この前テレビで婚活に励む人々を特集した番組がやっていた。

婚活の一環として、男性達が小学校の調理室みたいなところに集まりハンバーグを作っていた。この訓練のねらいは……料理上手になって女性にふるまうためだったか、女性と話すときに料理の話ができるようにするためだったか…

 

ところでハンバーグを作り方をご存じだろうか。

料理にこだわりがないのでレシピにつっこみを入れないでいてほしいが、簡単に言うと

①挽肉、タマネギ、卵、調味料などを入れてこねる 

②手でパンパンして空気を抜きながら形を整える

③焼く

である。なんと簡単3ステップである!

 

 

さて、簡単だと思ったのであれば作ってみてもらいたい。

レシピには書かれないが面倒くさいことの連続である。ハンバーグは金銭的に贅沢な食べ物なのではなく作る工程が大変だからこそ高いのだと思っている。

タマネギをみじん切りにする。思い通りの大きさにならないし慣れていないと危険。

こねる時に手がべちょべちょになる。このべちょべちょがなかなか洗っても落ちない。

食べた後の食器やフライパンが油まみれだ。料理は片付けまでやって料理である。

 

婚活の話に戻るが、特訓で大切なのはハンバーグをおいしく作れるようになることではなく、「ハンバーグを作るのってありえないくらい面倒くさいな、平日に作るのはあり得ないな」という気持ちを知ることであると思う。あの婚活者達にはその気持ちを忘れないでいてもらいたい。(え、何様ですか?)主催者もきっとそう思っている。

その気持ちを忘れなければ、恋人・婚約者が自分のために料理を作ってくれるたびに相手に感謝できる。相手の作る物に文句なんて出てくるはずもない。円満な関係を続ける秘訣である。

 

私の場合仕事から帰ると、平日の多くは妻が料理を作って家で待ってくれている。妻も働いてて疲れているだろうに、それこそハンバーグを作ってくれていたりする。もう本当に本当に感謝であって、毎度温泉旅行をプレゼントしたい気持ちである。(気持ちだけであるが、ここで本当にプレゼントできる男が漢である。)

 

しょっちゅう料理に文句を言ってくるパートナーには婚活をさせればいいと思います。

 

転生したら殺人鬼の子どもでした

『転生したら~でした』とかの転生シリーズ。最近人気ですよね。

今日子どもたちがふざけて「転生したらうんこでした~ギャハハハー!」と言っていたのを聞いてハッとした。

 

主人公の転生先恵まれすぎ問題である。

 

転生先がうんこといったようなハードモード転生作品がないのである。

転生したらボウフラでしたとか、転生したら下っ端雑魚ゴブリンでしたとか、きっとそういうのが人生なんじゃないかな。

 

転生したら勇者でした?転生したら天才○○でした?

まてまてまて、そんなに世の中甘くない。

 

だから「転生したら殺人鬼の子どもでした」とかっていう、ハードモードな転生シリーズも読んでみたいものです。

 

ハードモード系転生シリーズ、他にいい案ありますか?

 

 

地獄を笑って見ましょう

小説の面白さは、人が隠しもつ地獄を覗き見ることができることにあると思うのです。

人はだれしも地獄を抱えていると思います。地獄の大小は人によって異なり、自分の中に地獄があることを自覚せずに生活している人もいることでしょう。

地獄はある日突然その人の前に広がり、飲み込み、理性を失わせます。そうすることで人は過ちを犯すことがあります。本人たちにとってその地獄はこの上なく厄介なものであっても、他人にとっては実に興味深いものです。

一生経験することがないであろう地獄を、他人事だと同情したり笑ったりする楽しさが小説にはあります。

赤や黄色の死化粧

 

この休み、高原のホテルに泊まった。朝夕は手袋やマフラーなしでは居られないほど冷え込み、また紅葉が進んでいるのを見て秋が深まっているのを感じた。

 

ところで詳しく調べたことはないのだが、木の葉が黄色や赤色になるはっきりとした理由は分かっていないと聞いたことがある。いったい何のために「紅葉」が起きているのだろうか。

 

〇実はオシャレして目立ちたいのかもしれない

自然界の派手なものにもきちんと理由がある。ド派手な黄色のカエルは自らが猛毒であることを周りにアピールしている。「私を食べたらあんた死にまっせ?」と見て目で訴えている。赤い派手な木の実はトリにたくさん食べてもらうことで、糞と一緒に種が落ち、自らの子孫を増やす。「私はここよ!来て!食べて!」と訴えている。

とすると、紅葉も実は目立つことで何かいいことがあるのかもしれない。オシャレ、見た目は自然界でも大切なのだ。

 

〇実は1年間光合成しまくって働いた葉へのサービスかもしれない

1年間の役目を終え散っていこうとする葉に、木が施す死化粧というわけだ。花は美しい状態で散っていくことが多そうだが、葉は散り際に最も美しい色になるのかもしれない。

 

まあ本当のところは寒さの厳しい冬、日照時間の短い冬に向けて無駄な物は捨てエネルギーを蓄えようとしているとかそんな理由なのだろうが…

せっかくの美しい自然現象、理由も素敵だといいなあ。